ホスピスとケアホームのいいとこ取りをした有床診療所かケアハウスでほどよい医療と行き届いたケアを届けたい。
その思いを実現できる場を作りたいと思っています。
一人でその場を作ることはできません。
準備委員会としては、まずは、この活動を知っていただき、一人でも多くの方にご賛同
お問い合わせフォームを用意しておりますので、ご協力いただける方、ご意見のある方は、是非、ご連絡くださいますようお願い申し上げます。
サポーターの募集も行っておりますので、よろしくお願い申し上げます。
冨岡譲二さんからの推薦
米盛病院 副院長 冨岡 譲二さん
救急医療と終末期医療、畑違いと思われるかもしれませんが、最近は特に考えさせられることが多いのです。
初めにお断りしておきますが、急な症状で苦しいときや不安な時に、いつでもだれでも救急受診していただける医療を目指して、日々、診療にあたっています。迷って重症になるよりは早いうちに受診するほうが患者さまにも病院にもベネフィットが多いのです。24時間365日受け入れ態勢を整えて最善の治療を提供できるよう日々努めています。
そういう思いを持っている現場でさえも、ちょっと、どうかなと思うことに出くわすことがあります。
心肺蘇生についての提言にもあるように、ご家族の思いと医療者の判断とに齟齬があるように思います。適切に治療すれば助けることができるのに、自己流で治療は延命と判断されていることもありますし、逆に、現代医療では対応できない状態なのに治療を希望されることがあります。
適切な治療を行うことで助けられる命、助けた後の予想される経過、延命の定義、答えのないQOLという哲学。難問です。
不安を取り除くのも大事なことだと考えていますし、隠れた重症患者さんもいらっしゃるので、頭ごなしに、(結果として)軽症である方の救急受診を否定するつもりはありません。が、取り敢えず救急車、取り敢えず治療という認識で、救急病院に来られる、あるいは連れて来られる患者さんが多いというのも事実です。もちろん、多くの場合はそれでいいのです。が、マスコミで取り上げられているように、タクシー代わりに救急車を呼ぶ、コンビニ感覚で時間外に救急を受診される、そして、医療よりもケアが優先される段階で救急搬送される。これでは、システムも医療従事者も疲弊してしまいます。
なぜ、取り敢えず救急車と考えてしまうのでしょうか?
軽症者に関しては様々な対策が提案され、試行錯誤している真っ最中ですが、医療よりもケアが優先される段階で、救急搬送されるのはなぜでしょうか? 私見ですが、治る見込みはないけれど、症状軽減のための治療を行うところがあまりないからだと思います。苦しんでいる患者さんを目の前にして何とかしたいという思いのもとに搬送依頼されることが多いように感じます。
一般の方には、治す治療と症状(苦痛)を軽減する治療との区別がつかないので、救急病院に行けば何とかなると思われるのでしょう。そうでなければ、最先端の治療すれば絶対に死なないと思われているのかもしれません。
医師にも同じことが言えます。たまにですが、自分の専門に関して熱心すぎるあまり、
4期の癌患者さんや老衰で全身衰弱している患者さんにも元気な方と同じように最善の治療しようとするのです。
データを正常にすることしか考えず、患者さんを全人的に見ていないというケースが含まれています。
そんな医師からも、救急受け入れの要請があったりします。
治療すべき病気を治療するのは当たり前ですが、患者さんの状態に応じて、何を優先すべきか、何を諦めるべきか、判断することが必要なときもあるのです。
一方で、とにかく高度な医療は延命になるので断るという極端な患者さんやご家族もいらっしゃいます。救急搬送されてきたのにもかかわらず…。高度な医療は助ける医療で、一概に延命と言うわけではありません。適切に治療してよくなる可能性があるのに、それを放棄するのは医療ではありません。救命と延命は同じ線上にあるのです。
提言では、ご家族の意思に反して救命処置をすることがあるとされています。
前述したように、ご家族の思いと、医師としての判断に齟齬があることが多いからです。
この溝を救急室で埋めるのはとても難しく、次々と運ばれてくる救命すべき患者さんの中で、時間をかけて丁寧に説明することは、困難を極めます。もちろん、許される範囲でお話はするのですが、本当は何日も、ときには何か月もかけてディスカッションすべき内容ではないでしょうか?
こういったケースではかかりつけのお医者さんとしっかり話し合い、不要な救急搬送を避けていただくことが重要です。このことは提言にも明記されています。そして、かかりつけ医と話し合うためには、患者さんやご家族にも十分な情報をもっていただかなければなりません。
風と虹の診療所では、症状緩和の医療はもちろん、癌であれ、慢性疾患であれ、あるいは、老衰であれ、いかに終末期を過ごすかという啓蒙の場を用意されるそうです。それに加えて、どこからが終末期か、どこまで積極的に治療するのか、そういった話し合いができるところとなると思います。
現代の医療では太刀打ちできない状態の患者さんを診る場所として、このような場所が選択肢として存在することは喜ばしいことだと思います。実現することを、救急という対極の場から、そっと応援しています。
有床診療所/ケアハウス設立準備のマンガ
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